副鼻腔炎(蓄膿症) コミュニケーションがうまくいかないメカニズム2

鼻の慢性的な不快感や息苦しさが情報を受け取るための機能自体を弱体化させることについて、つまり、意識散漫、感情鈍麻、集中力の欠如が顕著になってくることについて前回書きましたが、このようにして感覚器官自体の機能が正常に働いていないところに、インプット情報を複数突っ込んでいるため上手に反応できない、よってコミュニケーション問題が生じるということでした。

このコミュニケーションに問題を引き起こすメカニズムが、実生活においては副鼻腔炎(蓄膿症)による嗅覚能力の低下や、年齢を重ねるにつれて増えていく社会性維持のためのストレス、コミュニケーション問題によるストレスと組み合わせで機能して本人を危険な状況に追いやってしまいやすくなるはずです。

たとえば、既にこれも書いた件ですが、臭いが分からないことによって、日常の環境に問題があることに気が付かないまま生活を続けることになったり、そのことで、さらに色々な問題が生じるようになったり、更なるストレスによる注意散漫、意識散漫によって、たとえば日常生活において火の元の管理など、とても重大なことに意識が向かわないことが出てきやすくなるのです。

周囲の目を気にしすぎるようなことがある一方で、その逆になってしまうようなことも増えていくことが多くなってしまうことでしょう。たとえば、自分の身体の管理などについてもそうです。色々なことに気を付けているのにもかかわらず、自分に対する意識が低下していたりすることも出てくる可能性があります。

身体の一部が悪いだけで、人生にとってはとても大きな影響を及ぼすことになるかもしれないのです。バラバラの能力は好ましくないという件について、すでに書いていますが、能力が異常に高い部分があるからといって安心せず、圧倒的に能力が低い部分にも注目すべきです。

そういう視点で考えれば、やっぱり病気への対処は最優先で行うべきです。これは、あらゆる病気に共通することのはずです。ですが、なぜか子供の副鼻腔炎(蓄膿症)は放置されやすいように思います。風邪の延長線上のように思われたり、子供の鼻たらしは仕方ないといった捉え方をされたりする環境が影響しているところもあるのかもしれません。

うまく鼻に空気が通るようになり、治っていく子供もいると思いますが、そうならない子供もいます。私はそうではない子供でしたが、そういった子供を放置せず、出来る限りの対処をしていくべきと思います。特に、子供は社会についても世界についても、よく分かっていません。周囲の大人が動かなければいけないのです。

しかも、物心ついた頃から問題を抱えている子供は help! のメッセージすら発することすらできずに育ち社会では不愉快の対象にされてしまいかねないのです。

最近では児童虐待が大きくマスメディアで取り上げられていますが、こういった根源にはもしかしたら、ここで取り上げたコミュニケーションがうまくいかないメカニズムが働いているのかもしれません。それは子供だけではなく、大人にもあてはまるということです。

仮に副鼻腔炎の子供が児童虐待を受けている場合、健康な子供と違って、さらに判断が難しくなるはずです。人の目を強く気にする子供に育っている上に、大人の論理思考で考えると意味不明なレスポンスを返すようなことがあるからです。

すでに重症化している場合においてはコミュニケーションの問題が実際の会話レベルでも大きな問題になるタイミングがあると思います。子供自身も後になって、なぜあんな反応をしたのかが分からない。なぜ、あんな言葉を返したのか分からない。自分でも意味が分からないけど反応したということがあると思います。

ですから、意味の分からないケースが出てきたり、とんでもないと思えるような言葉が出てきた場合には繰り返し、繰り返し、時間をかけて真意に迫っていくしかないと思います。大人が子供の言葉一つ一つを真に受けすぎないことも、問題を抱える子供に接するときには大切なことだと思います。子供の心には恥ずかしいとか、悲しいとか、カッコよく見せたいとか、よく思われたいとか、本当のことを知って欲しいとか、色々な感情が沸々とわいていて、整理されていないだけでなく、副鼻腔炎でコミュニケーションの問題が強く出ている場合には、その事だけではない色々なインプット情報が一緒になって、意味不明な返答をする場合があると思います。

そんな状況があるので、副鼻腔炎の子供のことを、高い視点から見ておいてあげて欲しいのです。それは、副鼻腔炎の症状に改善がなく、言語能力に問題を抱えている子供であれば特に!です。幼い頃から副鼻腔炎(蓄膿症)の子供は色々な家庭の事情で放置されて育っていることが多いように思います。それは、つまりその子の両親、保護者の方に問題があることも考えられると思います。

そういった問題では、最近もマスメディアで大きく取り上げられている児童虐待の話題がありますが、そういった可能性を背後にかかえて育っている可能性が高くなるということです。副鼻腔炎の子供については、そういった家庭から出てている何らかの「サイン」である可能性もあると考えておくべきと思います。

副鼻腔炎(蓄膿症)の上に、虐待のようなことが家庭で行われているとすれば、そこはまさに地獄のような場所だと思います。そして問題なことは、その子供がそこを地獄だと全く思うことなく、状況の言語化もできないままに育つことにあります。仮にそうであるとすれば、その子の「コミュニケーション問題」をかかえた心身は社会的に大きな問題へと発展するリスクを内包しているようにも思えてきます。そういった家庭についての見識を社会は持っておくべきです。

なぜなら、その子供が大人になったり、親となったりすることで、さらなる問題を引き起こす可能性が高くなるからです。病気ではない人にとっては何気ない小さなことが積もって問題が深刻化し、表面化するころには、目を覆いたくなるようなことが発生してしまうことを慢性的に病気で苦しむ人はよく感じていることと思います。

だからこそ、このような重症者視点に立った情報発信が社会にとっては極めて重要だと思います。

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