副鼻腔炎(蓄膿症)の子供、勉強が苦手。だけれど・・・。
物心ついたころから、鼻を垂らして鼻づまりの子供、目もうつろでボーっとしてしまった子供を見て勉強できそうな子供だな!とか、頭の回転が早そうだな!という印象を持つことはあまりないと思います。実際、私も勉強が非常に苦手でした。小学校に上がってはじめて本を立って読んだ時のことについて以下で書いていますが、そのくらいに言葉の発達が遅れていたのです。
子供時代。小学校でのつまずき。言葉の発達と慢性副鼻腔炎(蓄膿症)について
ですが、私の場合はおそらく普通の会話というか友達との会話は、言葉を勢いよく単発的に発することで乗り切っていたと思います。だから、何か動きながら言葉を発し続けていた感じですね。不器用な感じですが、それが普通になっていた感じです。どこか動物的というか、そんな感じだったのかもしれません。それでその場はこなしていたので、言葉の発達が遅れていることにあまり自分でも気が付かなかったのです。
で、小学生に上がって先生に指示されて立って本を読む機会に、その現実と直面することになったということだと思います。かといって、言葉の発達が遅れていることを、物心ついたころから慢性副鼻腔炎の小学校1年生が客観的に把握できるわけもなく、何なんだこれは。恥ずかしいという感じの印象が胸にありました。その印象だけが私には残っています。国語が特に苦手でしたね。
一方で私の場合、算数については得意だったのです。言葉が不要だったからだと思います。数字だけが頭の中で回転して、その映像のまま答えを導くことが出来たからだと思います。でも、日本語が入ってくると全くダメでした。目だけで考えている子供。どこか動物的な子供、そういう感じだったと思います。
ですが、言葉を使って物事を考えることが出来ないと絶対に行き詰まることになるはずです。物心ついた頃から慢性副鼻腔炎(蓄膿症)の子供は、その部分に大きな不足を持つ場合が多いと思います。目で考えることだけについて、それしかやっていない分、おそらくその部分だけ高い能力を示す場合があるように感じます。ですが、学校の成績ではそれが合わさって異常値を見つけにくいと思います。
私は言語能力が低すぎて問題がある部分と、比較的高い視覚的能力を掛け合わせて学校の成績は高校生くらいではギリギリ真ん中くらいを保っていたものと思っています。ですが、社会でうまく生きていくためには全般的にある程度がボチボチだという状態を担保した上で、得意分野を作ることが望ましいと思います。極端な不足、それは社会ではとても生きにくい状態になってしまうと思います。
もちろん、こういった私の見解はかなりの数の慢性副鼻腔炎患者さんを調査して導き出した考えではなく、自分自身の経験から、おそらくそうだろうなということを書いています。視覚的に考える部分が鍛えられているためだと思いますが、子供の算数のようなレベルでは、かなり高い成績を取ることもあると思います。因みに私は小学校の5、6年生の頃にはクラスでトップだったと思います。一方で国語は全然ダメでした。バラつきが明確に見受けられたのです。
何らかの得意分野があることは、お子さんの自信になる点で良いことかもしれませんが、大人は算数がトップクラスだからといって、安心してはいけないと思います。慢性副鼻腔炎の子供にこのような明確なバラつきを見つけた場合にはそれが病的なものを示していることを懸念すべきと思います。
もし極端過ぎるほどに能力にバラつきがあったり、極端に言語能力が低すぎたりするようなことがあれば、社会性を維持するための教育としては全く機能していないと思われるケースも可能性としてはあるのかもしれないと思うからです。学校教育がマイナスに作用する可能性もあるということです。
そこまでにはならなくても、多くの慢性副鼻腔炎(蓄膿症)の重症者が画一的な学校教育を周囲と同じように受けることは適切ではない可能性もあると思います。有効な教育を副鼻腔炎の子供にしていくためには、環境が大事だと思います。手術までの期間は、どんどん鼻をかむことを大人が勧める環境で出来るだけストレスなく勉強できることを本人もきっと希望すると思います。
ちゃんと認識合意が取れた場所が大事で、病気と後ろ向きになる環境は望ましくないと思います。病気の事実すらもどこかで無いものとしてしまう世界観を生きていること自体が、将来の問題につながることになると思います。ですが、このような環境を現実的に公教育の場で確保するのは大変難しいと思います。
だからといって、嫌がられる存在をそのままにしておくことで、ある意味無視をして、バランスを保つべきでもないように思います。現状は、重症の子供であっても、望ましくない教育環境で生活を続けているケースがあると思うのです。問題が確実にあり、その問題を直視して自分自身が受け入れて、それで周囲の迷惑にもならずに勉強出来る環境でないと、教育としてマイナス部分が多くなり得ると思います。
それは慢性副鼻腔炎(蓄膿症)である自分を、どこかで隠すようにして生活を続けることや、心身に強い負荷をかけ過ぎたまま、ずっと教育を受け続けること、年齢が上がるほどに社会性を保つために薬への依存度を強めてしまう可能性が高いことなどがあります。
特に幼き頃から慢性的な状態を持っていると、周囲に理解ある大人がいない状態であれば、隠し続けることが、自分自身からも隠すことにつながってしまいやすいと思います。人格的な問題へと発展する可能性がかなりあるということです。自分に隠すような生活でなかったとしても、自尊心の低下などから色々なマイナス影響が考えられます。
このようなことはコミュニケーションの問題にもつながっていくように思います。そこで次は、重症の副鼻腔炎患者の視点からコミュニケーションの問題を取り上げます。
コミュニケーションがうまくいかないメカニズム1