副鼻腔炎(蓄膿症)子供、学校のプール問題
この記事内で、条件付きで私は以下のように書きました。
「同じ環境で一緒に教育を受けていることの意味は本人に辛い思いをさせながら、社会性が失われた存在であることを知らせにいっているような行為として捉えることすら出来るように思うところがあるのです。」
副鼻腔炎(蓄膿症)の小学生のプール問題は、この点を明確に示すことがあると思います。
たとえば、神奈川県保険医協会さんのサイトです。
http://www.iiiryou.com/filebox/cat215/post_170.html
「副鼻腔炎(ふくびくうえん)」は膿っぽい鼻がでているときは、プールの水を汚すことになりますから、必ず泳ぐ前に鼻の治療を受けてください。また泳ぐ前は鼻をよくかんでください。」
以上の記述があります。
この言葉に間違いは何一つとしてないです。ですが、慢性副鼻腔炎(蓄膿症)で悩み続けている子供やご家族は、どのように感じるでしょうか。そうですねと感じる一方で、プールに入らないでくださいと言われた方がいいなと思う人もいるはずです。
プールに入っている間、ずっと鼻に注意しておくことになるんですよね。子供のころ、私もプールでも鼻を垂らしてしまい、周囲に不快な気持ちにさせてしまったことがあります。ですが、今考えると慢性副鼻腔炎であれば鼻をよくかんでも、「蓄膿」している状態です。蓄膿症とも言われているのは病気の状況も示しているのです。
プールの時間、ずっと問題が出ないことはないでしょう。だから、プールに入らないでくださいと言って欲しかったなと私はそう思います。条件付きとかは不要で、副鼻腔炎(蓄膿症)と診断されている子はプールに入らせないというようにした方が全然楽だったと思います。
その時は残念な気持ちになるかもしれませんが、周囲と自分はやっぱり違うんだと明確に理解するためにもそういう意思表示は大人がしっかりとした方がいいと思います。その方が長い目で見た時に子供を守ることにもつながると思います。
病気でない子からすれば不快でしかないし、病気をしている子にとってもハッキリさせてくれた方がいいに決まっていると思います。その時の気持ちとしては、もちろん残念な思いをすると思いますが、それでも現実をしっかりと認識しながら成長していった方がいい。
まわりがその現実をサポートしてあげることにも、もちろん大切です。大人のけじめとして、ハッキリさせなくてはいけないと思います。子供には、そのけじめを付ける権利すら与えられていないのです。あるのは嫌々感を周囲に持たれながらも果たさなければいけない義務だけです。
このことを考えると、プールの時間って副鼻腔炎の子はいつも見学が決まることになるねという話になります。それで、それならばはじめから別にした方がいいのかなという発想が私には出てくるということです。友達の泳いでいる姿を見るためだけに学校のプール時間をずっと過ごすのは不自然だからです。
プールの水の雑菌などが鼻に入り、副鼻腔炎(蓄膿症)に悪影響を与えるという見解もあると思いますが、本人にとっては周囲に気持ち悪いと思われたり、嫌がられたりしないかという心配の方が圧倒的に大きくなってしまうことになると思います。
戦後直後の時代に子供時代を過ごしてきた人は、子供の鼻たらしは当たり前でそういった環境に免疫があったと思いますが、今はそういった時代でもないです。多くの子どもがそういった状況にはないということです。その中で受けることになる不快感からの言葉や、嫌がられるような言葉が必要なのであれば、はじめから別にしておいてあげることも考えるべきではないかということです。
神奈川県保険医協会さんのサイトにある以下の言葉をもう一度見てください。
「副鼻腔炎(ふくびくうえん)」は膿っぽい鼻がでているときは、プールの水を汚すことになりますから、必ず泳ぐ前に鼻の治療を受けてください。また泳ぐ前は鼻をよくかんでください。」
大したことのない言葉だとすることも出来ます。ですが、大人であっても、このような内容にどうしてもなるわけで、それが子供であったら、さらに直球で来ることになります。そういった事を何度も何度も経験させることになるのです。
本人はあっけらかんとしているかもしれません。
ですが、そういった何気ない言葉、自分が嫌がられていることを明確に示されている言葉は、よく覚えているものです。そういう言葉に、その時には深く傷つくことがなかったとしても、私も子供の頃に言われた何気ない一言は、本当によく覚えています。物忘れが激しいのにもかかわらず、そういうことはよく覚えているんです。本当に昨日のことのように覚えています。
たとえば、プールの件でいえば、以下のようなものです。
(友人)「次はプールに入るの?」
(私) 「うん。」
(友人)「えぇ~、一緒に入りたくない。」
(私) 「・・・。」
慢性の副鼻腔炎の子供やアトピー性皮膚炎の子供は、こういったことを沢山経験している可能性がありますね。この私の経験で言えば、この友人は小学生の子供のレベルから考えれば、ひどい事を言ったということではないと思います。自分はプールに入ろうかどうか迷っていて、その大きな要因に私とは入りたくないということがあったようです。
こんな経験をさせるくらいなら、はじめから別にしてあげるべきと思います。大人の役割だと思います。もちろん、例えば今の私であっても子供を前にした時には辛い判断になると思います。ですが、必要な判断でもあると思うのです。
おそらくこういった経験を副鼻腔炎(蓄膿症)で幼き頃から過ごしている多くの人が言葉にすることなく、自分の心の中にしまい込んで生活していると思います。その背景には言葉にすること自体が苦痛であったり、整理して言うことが出来るだけの言葉の力が不足していたり、そもそも忙しくてそんな時間すらないこともあると思います。
ですが、それが結果的にずっと苦しんだままの子供を放置し続けている状況につながっているように感じます。ですので、なるべく私自身の経験や捉え方、考え方を具体的に色々な角度から発信したいと思っています。
因みに、なぜ物忘れがひどい私、昔のことの多くを忘れてしまっている私が、そのようなことだけは昨日のこのように覚えているのだろうかと自分でも不思議に思ったのですが、その理由は何となく分かってきました。
おそらく、手術して状況がかなり良くなったとしても、鼻の件についてはその時の延長線上で生きているからだと思います。だから、遠い昔のことであっても、そういったことだけは昨日のことのように思い出すことが出来るのだと思います。副鼻腔炎(蓄膿症)が重症化した場合には、改善したとしても何らかの症状を持ちながら、どこかで気にしながら生きていく人も多いと思います。
そういうことを考えると、何気ないことが人生全体において実はとても大きなことであるような気もします。そして、これを整理して言語化出来る人もまた少ないのかもしれません。もしかしたら、その強い記憶とは真逆で物忘れの激しさは、無意識的にどこかでバランスを取ろうとしているのかもしれません。
物忘れの激しさと言語力の低下などがある一方で、副鼻腔炎(蓄膿症)の子供はもしかしたら高い能力も持っているかもしれません。
この件については以下で整理しておきます。
★副鼻腔炎(蓄膿症)の子供、勉強が苦手。だけれど・・・。
(後記)
もし、今の判断力と思考力、行動力があったまま、私があの当時の子供になった場合、私はおそらくプールのある日は学校を休むと思います。そもそも、症状の感じ方次第で学校自体に行かないことも十分にありえます。