副鼻腔炎(蓄膿症)の重症者、sbatonのプロフィール、自己紹介など
副鼻腔炎(蓄膿症)の重症者、sbatonについて
- ペンネーム
sbaton - 年齢、性別
アラフォー男性 - 病歴
慢性副鼻腔炎(蓄膿症)
サイト目的等
副鼻腔炎(蓄膿症)について、実体験を元にした情報発信、情報共有を目的としています。重症者視点での情報を発信していきます。
サイトへの思い
私は、約40年間、鼻の病気とともに歩んできました。その私が副鼻腔炎(蓄膿症)と診断されたのは小学校に上がってからのことですが、すでにそれ以前から鼻づまりの状態であり、物心ついた時には慢性的に鼻が詰まっている状態でした。
小学校に上がる前までは、耳鼻科には行ったことがなかったのです。ですから、ずっと副鼻腔炎。幼き頃から慢性副鼻腔炎(蓄膿症)だったと思われます。
私が子供だった頃よりも医療や薬もより良くなっているようですが、今も私が経験したような苦しみやツラさをかかえて生活している子供たちがいるようですので、その子供たちやご家族に少しでも役立つような情報を発信していきたいと思います。
また、学校関係者の方や病院関係者の方など、実際に慢性副鼻腔炎(蓄膿症)の子供に接するような方々にも情報として何らかの価値を持つようなサイトにしたいと思っています。このサイトでの情報がきっかけになり、本当に苦しい思いをしている子供たちの環境が少しでも良くなればと思っています。
副鼻腔炎(蓄膿症)の症状は人によって様々である一方で、情報発信の内容としては病院の先生方を中心とした情報が多く、個人の方のものでは症状の程度が比較的軽い方の情報が多いように感じます。重い症状で大変に困ったのだろうなと分かる人も中にはいるのですが、物心ついたころから既にその状態だったという「副鼻腔炎(蓄膿症)」患者さんからの情報発信という点でいえば、全くと言っていいほど見当たりません。
経験者の私の視点から(つまり私の独断と偏見が入った視点から)、極めて重大な状況に陥っている患者さんからの情報が見当たらないのです。ですので、患者側視点の情報が欲しいという方を考えれば、情報の不足を感じている人もいるのかもしれないと思っています。
副鼻腔炎(蓄膿症)について、風邪をこじらせた延長線上にあるような印象で考えることなど全くできないほど重い症状に陥っている人もいると思います。そうなると、その本人にとっては単に鼻づまりというだけの問題ではなくなってきます。
人生に関わってくる問題になることも十分に想定できるはずです。実際、私自身も副鼻腔炎(蓄膿症)がこれまでの自分の人生に大きな影響を与えたと思っています。
この副鼻腔炎を単に鼻の病気という感じで捉えるだけに終わっている情報ばかりであることにも私には違和感が少しだけあります。副鼻腔炎(蓄膿症)が重症化するほどに、生活の色々の点で困ったことが出てくると思うからです。
違和感がある一方で、そういった状況になっている背景なども私には何となく察する部分がありますが、そういった情報はあまり見かけないです。ですので、重症者としての私の視点から発する情報はそれなりに役立つかもしれないと思っています。
そこで、物心ついた時から既に副鼻腔炎(蓄膿症)だったと思われる私の視点から、副鼻腔炎がどれだけ注意すべきものなのかについても整理していきたいと思います。
重症患者視点のサイトですので、少し重たい印象になりますが、出来るだけ色々な人の役に立つように工夫をしていきたいと思います。表現方法などについても、より良いものを意識して出来る限り更新していきたいと思います。
因みに私が使う「重症」という言葉の意味は医学的な判断を確認して使っているものではなく、蓄膿症の手術まで経験した一人の患者による経験判断で書いているものですので、その点はあらかじめご承知おきください。
私にとっての副鼻腔炎(蓄膿症)
物心付いた頃、まだ小学校にも上がる前の幼い頃から私は鼻水を垂らしていた記憶があります。ですので、この鼻の病気と私の人生はいつも隣り合わせ。悩み、苦しんで、それでもどこかで自分からもそのことを隠してきたところがあるように思います。
子供の頃、うまく言葉に出来ない時期が長かったのです。物心ついたときには既にそのような鼻の状態でしたので当たり前の身体の状態が分からないというか、どのように言葉にしたらいいのか分からないというか、そのような感じだったと思います。
そもそも言葉の発達が遅れていたということもあります。ですから、私にとって副鼻腔炎(蓄膿症)は、単なる鼻の病気ということだけでなくて、物事の感じ方や考え方、それから生き方にまで大きな影響を与えてきたと思います。
正常(健康)な状態を知らないで成長していくことになったのです。
副鼻腔炎(蓄膿症)を取り巻く「現在」から考えたこと
副鼻腔炎(蓄膿症)は患った人にしか分からない苦しさ、ツラさがあるだけでなく、それを表現するための言葉の発達にも大きな影響を及ぼすためなのでしょうか、重症患者側の情報で整理されたものが少なく、このような重症患者視点の情報があまり共有されていないように感じます。
物心ついた時には自分にとって当たり前だった病気について、客観的に捉えて書くこと自体、かなり難しいことでもあると私は思います。「客観的」ということが、自分の感じている世界、生きている世界の外側の人生や視点から書くことを意味するからです。
どうしても、ツライとか苦しい!とか、そういう表現になりやすいですし、その状態が当たり前の状態になっているのであれば、それ以上の言語化が難しいと思います。その上、言語能力自体にも少なからず影響を与える病気だと私は自分の経験からも感じています。
もし、これを読んでいる方が副鼻腔炎を患うお子さんの保護者の方であれば、ひどい風邪を引いて鼻水が出て鼻の奥が腫れてしまい、緑色とか黄色っぽい鼻が詰まり、息苦しくなってしまうような状態を想像してください。
頭もボーっとして頭も少し重くて痛い状態です。
そんな時の言語活動が元気な時とは違うことくらいは誰にでも想像が付くと思います。そんな状態が慢性的に続けば、言語能力にも影響するだろうという予測について、誰も不自然な印象は持たないと思います。症状が酷ければ、なおさらですし、物心ついた時からそのような状態であれば、さらに深刻です。
保護者の方には、苦しい思いをしている子供たちの良き理解者であって欲しいですし、一番の味方であって欲しいと私は思います。ですが、自分が患ったことのない苦しみやツラさを想像することは大変困難です。
ですので、出来る限り保護者の方々にも伝わるように役に立つように努力を心がけていきたいと思います。「言語の発達」に影響を与える点も、語られることが少ないです。ですが、重症者であるほど大きな影響を受けていると私は確信を持って推察しています。
はじめに伝えておきたいこと
病気に関して、あまり言わない方がいいといった世間の空気がまだ少しあることは承知しています。(昔よりは随分良くなったと思います。)そういった空気感の中で、普通に学校に行きながら慢性副鼻腔炎をかかえた子供たちは理解されずに苦しみ、ツライ状況に追いやられているケースがおそらく今でもあると思います。
そんな状況であっても、慢性副鼻腔炎(蓄膿症)と診断されている本人たちは活発に遊びまわっているかもしれません。うまく状況を捉えきれていなかったり、言葉による発達が遅れていたり、自分の身体への状況認識が成熟していなかったりすることがあると思います。
ですから、そういう子供を気遣うことの出来る大人が必要だと私は強く感じます。私自身がそういう子供だったこともあり、その時の自分が置かれていた環境については、仕方がない状況だったという思いはあるのですが、見識ある大人が仮に周りにいれば全然違ったという確かな思いもあるのです。
特に幼き頃、物心ついたような時期から慢性副鼻腔炎にかかっている子供について、副鼻腔炎の見識を持っている大人の存在が必要だと自分の過去を振り返って本当にそう思います。そういう大人が周囲に一人いるだけで子供の気持ちは全然違うものになると思います。ですが、現状でも、そういった状況を期待できないと思います。
そこまで大したことはないはずだという思いを持つ人も多いのかもしれません。ですが、病気になった人でないと、その辛さや苦しさはなかなか分からないと思います。そもそもですが、幼き頃、物心ついたこから慢性副鼻腔炎(蓄膿症)になっていて、思春期も含めて、かなり長い期間にわたり苦しんだ経験を持つような人はその中にいないものと思います。
そういうこともあって、出来る限り全部書いた方が社会の役に立つと私も思うようになりました。出来る限りの情報を残すことで、副鼻腔炎で苦しんでいるけれど誰も分かってくれないし、その点での味方がいない思春期の子供たちの力に少しでもなればと思います。私自身、思春期にあたる高校生から大学に上がるまでが一番ツラかったからです。
もしかしたら、私が想像する以上に苦しくて辛い思いをしている子もいるかもしれません。
「何度も扉を叩くようにして耳鼻科に行ったけれど治らない。」
「どんな薬でもダメだ。」
「恥ずかしい思いを何度もしてきた。」
「こんな辛い人生に何の意味があるのか分からない。」
このような状況で苦しんでいる子供たちを想定して、過去の自分を思い出しつつ重症者視点での情報発信をしていこうと思います。実際に私が思春期のときに求めていたものは、そういった情報だったからです。
そういった情報がないことで副鼻腔炎(蓄膿症)が重症化している子供たちが放置されていることにもつながっているように思います。このような状況も見据えつつ、情報を整理して発信していくつもりです。