病気を持つ人の自尊心と環境を選ぶ時の考え方

子供の時には、病気から心の問題につながってしまうことが一番問題が大きいのかもしれないです。特に自尊心を保てないで育ってしまうと問題です。私の場合、病気がありましたが、自尊心はずっと保っていました。自分が一番頭の良い部分があると小学校に上がる前から、ずっとそういう感覚を持っていましたね。教科書が読めなくても、0点を取っても、そういう感覚が無くなることはなかったです。

こんなことを言うと、「バカなんじゃないの?」とか「大人になれていない」とか「発達障害だね」とか「空気読めないだろ」とか思われてしまいますよね。確かに、発達障害というのはあるかもしれないですが、自分が一番見えている、一番頭が良い部分があると、どこかでずっとそう思って生きていました。その当時とは種類が違いますが、今もそういう部分は残っています。物心ついたような時期から、どこかで自分が一番っていう感覚があったんですよね。もちろん、それは社会でどのような評価をされていようが関係なくありました。小学生の時はテストで0点ばかり取ったような時期もありましたが、そういう時にでも、自分が一番頭が良い部分があるという感覚を失うことはなかったです。中学生になっても高校生になってもです。

なぜか?

たぶん、視覚的な情報処理力で勝っていると感じていたからだと思います。当時はこういう言葉で表現していたことすらないですけどね。単に自分の目に入ってくる映像の処理からそう察知していたような感じです。たとえば、学校で勉強が出来るような子っていますよね。そういう子と接していても、自分の方が全然上の部分があるなと、言葉で考えて思うのではなく明確に察知している部分がありましたね。もちろん、周囲の大人よりも上だと思っていました。だから、尊敬する大人とそれ以外では対応に明確な差を持つ子供だったと思います。そういう私が尊敬レベルに達していた先生は小中高校を通して一人だけですね。好き嫌いとかもあるかもしれませんが、単純にたぶん視覚的な力を含めた総合力で圧倒されたような人です。学校外では別にもいましたけどね。そういう人が私にとっての本当の大人でした。

それが正しい認識だったのかは分かりませんが、そういう認識部分があったから自尊心が保てていたんだと思います。そういう部分がなかったら、自分に自信なんか持てなかったはずです。因みに、今はそういう視覚的な情報処理力で勝っているとかいう感覚は全くないですね。成長して謙遜しているわけではなくて、本当に今はないんですよね。振り返ると、高校生のころに低すぎた言語力を高める努力をするうちに無くなっていったように思います。この時期に胸の張り裂けるような思いを経験しましたが、そういうこととも何か関係があったのかもしれないと思っています。だから、私の自尊心の根源って今はその言語力を高める努力をしていた当時のモノになっています。

その当時から今まで、ずっと変わっていない人生の目標みたいなものがあります。それを見つけることが出来たこと。それが私の自尊心を貫いています。そういうわけで私の場合、自尊心を本当に保てなかったというタイミングはほぼ無かったと思います。はじめて一人で生活を始めて、これは無理かも・・・!って思って沈んだ時くらいですかね。だから、自尊心を保てなかったことがほぼ無い。

そんな私が今の子供たちを見ると、自尊心がとても大きな資産だったんだと気付かされます。子供と接していて自尊心を保てていないんだろうなという子供を見ると本当に心が痛みます。大人がその子供のことを察知出来ていない状況は普通にありますね。そういう子供の多くが、勉強で評価される学校では出遅れることが多い一方で、視覚的な情報察知能力は高いことが多いです。私のような人間には、そういうことがすぐに分かります。そういう子供が自尊心を失って義務教育期間を過ごさなければいけない状況は結構あるのかなと思います。因みに私は、そういう子供に声を掛けるタイミングがあるときには自尊心を保てるような一声をかけるようにしていますね。そういうたった一つの言葉が子供にとって大きな財産になることがある。そういうことも分からなくなっている大人が非常に多くなっているような気がします。

自尊心が保てていないなら教育とは言えないと思います。それから私と同じように病気を持つ人で、自尊心を保てないで育った人は心の問題につながってしまうことが多いのかもしれません。そして、その問題が重症化してしまうと身動きが取れなくなってしまうこともあるでしょうね。そういう時には心にフォーカスしても、あまり効果がないことが多くなると思います。感情鈍麻とか無気力とか恐怖感とか不安感とか、外部からの言葉をブロックする色々なことが多くなるからです。

だから、そういう時にはちょっとずつでも身体を動かすことだと思います。身体を少しでも動かす。少しでも外を歩く。少しでも行動範囲を広げる。そういうところから出来る範囲で始めた方が良いと思います。

で、自尊心を保てない社会ってどうなの?そこに所属する意味があるの?って私は思います。自尊心を保てない環境というのは、人間として生きるための最低限の環境にすらなっていないように思います。だから、そこが学校なら、学校が合わないと本当にそう思います。そういうこともあって、重症化した慢性副鼻腔炎(蓄膿症)の子供は別で勉強する道もあった方が良いと思うところがあります。自尊心を保つことが出来て、無理せずに本人が前を向いてさえいれば全く問題はないんですけどね。どんな病気でも症状が人によって全然違いますから、自由度があった方が良いと思いますね。