共働き家庭の子育てが大変!
重症化した子供の慢性副鼻腔炎(蓄膿症)の場合、遺伝的なものが原因で病気になってしまったというわけではなくて、生まれた後の状態がきっかけで発症し、さらに対処をしないまま重症化してしまうことが多いようです。つまり、環境に問題がある場合が多いということです。で、私が育った環境をふりかえって、どうだったかと言うと、まず思い付くことが「共働き家庭」だったことです。両親が若い頃は特に経済的にも大変だったようです。何らかの専門職とか、エリート系の職業に母親がついていたから、共働きになっているといったようなことではなくて、単純に二人で働かないと生活していくためのお金が得られない状態。そんな厳しい状態だったようです。
今は共働き家庭が当たり前になりましたが、当時は少数派だったと思います。後に80年代後半のバブル期に入り、さらにその後の流れとなる経済情勢を受けて私も私立の高校に入ることになりましたが、実態としては、平均以下の生活クオリティだったと思います。特に私がまだ物心付いていないような子供の頃は、この共働き状態などが私の身体に大きな影響を与えていたと考えられます。頭蓋骨の歪みからも、鼻の病状からも、しっかりと見守られていなかったことが推測出来ます。
とはいっても、共働きで子育てをするのは無理!本当に大変だということもありますよね。そういう無理ゲー感、大変さ、これが今はかなり増えている状態です。そういうことがあって、子供の口腔崩壊が問題になっていることもあるはずです。親が子供をちゃんと見ることが出来ない状態になっています。共働き家庭では子育ての問題が多く発生すると思いますが、そういう社会にしてしまったので今となっては、もうどうしようもない感じがします。ですが、子育てをフォローする体制については、実際にはまだ未成熟な部分が残されていると思います。フォローする体制が親をフォローする体制になっていて、子供が置き去りにされていることがあると私は思っています。親をフォローしたとしても、それが子供へのフォローにつながるかと言えば、おそらくあまりつながらないはずです。
なぜなら、単に経済活動を維持するためのフォローになっているのが実情だからです。子供への細やかなケアレベルには落とし込まれないということです。何も言わない一番の弱者を犠牲にした形で、経済効率を高めてしまったということだと思います。子供への細やかなケアレベルにまで落とし込むためには、同じ時空間で生活することが必要だと思います。長く見ていないと分からない変化もあるはずだからです。異常な生活習慣になっていることについて、自分もそこにいることで気が付くことがあるはずです。
このように考えると、子供の病気を抱えたままでする共働きの子育ては無理ゲーだってことです。子供の病気を抱えたまま、生活保護を受けられないで働く片親でも同様です。特に小さなお子さんの段階で私のように大病にかかってしまうと、それを乗り越えただけでもあとは大したことない感じに親が受け取ってしまって、子供を半ば放置してしまうこともあるはずです。専門の家政婦さんなどがつきっきりで見てくれている状態であれば、いつも細やかに見守る大人の目が維持されることになると思いますが、一般の家庭ではそれも経済的に無理でしょうね。多くの子供を見守る保育園の先生方に、そのレベルまで細やかなものを期待することも今のままでは出来ないはずです。よって、共働き家庭が当たり前の社会になった今、もう打つ手がない感じがします。
共働き家庭が見て見ぬふりをする子供の健康
こういう社会現実、子供を取り巻く現実について大人がもっと認識を深めていくことが大切だと思います。そういう意味では大人への教育が、今は最も求められているように思います。大人の教育レベルを底上げしないといけないのですが、その教育で必要なことはこれまでの学校教育のようなものではなく、生活の知恵とか子育ての知恵とか常識とか教養とかそういったものをいつでも相談できるような体制とか、声を掛けてあげられる体制だと思います。そういった環境が整った上で、最先端学習を積み上げるべきです。
虫歯ダラケの子供とか、重症化した慢性副鼻腔炎(蓄膿症)の子供にAIプログラミングを教えても、それは教育の点で良い効果をもたらすはずがないということにもなる話です。少なくとも、そういった無理やり教育で得られる効果について社会は否定しないといけないはずです。例えば、麻薬をやって何らかの頭脳インスピレーションを受けたり、集中力が異常に増したりすることで良い効果が特定の部分に働いたとしても、社会はそれを拒絶しないといけないのと同じ理屈だと思います。
こういったことは当たり前だよね!と思ってしまうかもしれませんが、形を変えると、踏み外すことが多くあると思います。自分のやるべきことをやっていない状態、つまり子育てでもしっかりとやるべきことをやっていない状態で、資格試験の勉強をしたり、昇進試験の勉強をしたりすることがあり得るってことです。そういうところで順序が入れ替わってしまう人は多いはずです。自分の責任を忘れ、あるいは放棄して、自分のやりたい事、プライド維持を目的にした事を優先してやってしまう人です。
重症化した子供の慢性副鼻腔炎(蓄膿症)や子供の口腔崩壊、児童虐待の背後には、こういう大人の存在を感じることが多いのではないでしょうか。その他の環境要因で引き起こされる子供の心身問題も同様です。土台がない状態、浮ついた状態で上を目指してしまうことになるってことです。そこで切り捨てられてしまいやすい存在、それが子供です。児童虐待が問題になっていますが、自分の子供の問題について見て見ぬふりをする親の数は児童虐待の数をはるかに上回るはずです。もしかすると、ほとんどの親にそのような部分が実際にはあるのかもしれません。
仮にそうであるとすれば、共働きは国家全体の問題、国の骨組みの問題になるはずです。ですが、そんなところに改善を求めていても現実的に無理があります。そんな中で、目の前の子供は毎日の生活を続けています。その子供が大きな大人になった頃には・・・みたいな感覚で、こんなことを書きはじめたわけではないです。「今」がとても大切です。「今」、少しでも変わることが大切です。今、苦しんでいる子供や、今、問題を抱えようとしている子供の存在が必ずあるはずだからです。それがあなたのすぐ目の前にいる子供のことかもしれないということです。