重症の慢性副鼻腔炎(蓄膿症)と車の運転について

これもあまり触れられていない話題だと思いますが、ちくのう症の人は車の運転についても注意が必要と思います。重症経験者は特にです。意識散漫、注意散漫になりやすいためでしょうか、気が付くと目の前のこととは全く関係のないことを想像していたり、思い出していたりすることが私は多いです。運転中にこれが起きるとマズイ。それから、コミュニケーションに問題が出るメカニズムについても細かく触れましたが、こういった認知まわりの問題を前提にすると、そもそも私は車の運転に向いていないと思っています。

手術をして症状が緩和している状態になったとしても、どこかに違和感を抱えたまま注意散漫になっていたり、判断力に遅れが出ていたりする状態であれば、注意が必要と思います。高齢者の自動車運転事故が色々と取り上げられていますが、色々な病気を持つ人の自動車事故も、かなりあるはずです。そこには病気を持つ人だと分かるような場合と、そうではない場合とに分かれることがあるように思います。でも、実際には病気が大きな要因になっているケースがかなり存在するのかもしれません。

手術をした後でも身体に何らかの違和感を抱えている状態であれば、出来るだけ自動車運転のような行為を避けた方が良いと思います。この点で問題になることは「違和感」を本人が明確に捉えていないケースが想定できること。すでに、そういう状態が当たり前の状態で育っているから不快感としての違和感にはなっていない状態。でも、コミュニケーションがうまくいかないメカニズムのところで提示したような問題は残っている状態。そうなると、インプット情報への適切な反応が出来ないので車運転は危険です。事故率が上がると思います。でも、体調不良のときなども含めて考えると、これは目をつぶっておくしかないようにも思います

だから、副鼻腔炎(蓄膿症)の重症者として育った人は、今の自分の認知状態について運転しても本当に問題ないか、しっかりと体調チェックをしておくべきと思います。違和感がなくても、身体のどこかに常に意識が向かっている状態になっていることで、何らかの情報入力に対する反応をするときに、無駄な緊張体質を持つことになっていないかもポイントになると私はそう思っています。こういった緊張体質があることで、反応に遅れが出てしまう懸念が私にはあるのです。そして、こういったことは私だけではないように思います。さらに言えば、今の時点で痛みを持っている人はもっと気を付けないといけないと思います。

社会的にもどこか放置されているがゆえに、そしてハンデとしては存在しないものとして認識されているがゆえに自動車運転についても、追加条件などを求められることがないことは良いことであると考えることも出来ますが、何らかの事故につながるようなことになってしまえば、真逆のことになります。そして、自動車の場合には、すぐに生命に関わるような事故につながってしまう懸念もあります。ですので、違和感などがある場合は自動車はなるべく乗らない生活にした方が良いと思います。実際、私も自分だとマズいな!と分かっているから免許も持っていないです。過去に取ろうとしたこともないし、今のところ取る予定もないです。

自分の身体の違和感などが無くなったら、取っても良いかなと思っています。そういう点での見えない不足を人生で持つようになります。誰にもあまり気付かれないような不足、特に人に言うこともない不足、そういうことが多くなります。重症化した慢性副鼻腔炎(蓄膿症)だけでなく他の病気でも同様のことが当然あると思います。そういったことにまでなってしまうことがあるんだ!という意識を持っておくだけでも、かなり違うはずです。幼いお子さんを持たれている方は、なるべく早めに病院に行く癖を付けておくことが大切と思います。もちろん、鼻だけでなく、病気全般、体調不良全般、全てにおいてです。

最後に、「不足」という表現を使いましたが、実際には全くそういう思いを私は持っていません。でも、一般の人は車に乗るのが当たり前になっているので「不足」と表現した方が分かりやすいのではないかと思いました。重症化した慢性副鼻腔炎(蓄膿症)とともに生きてきたために、ライフスタイル全般についても少し一般とは違う感覚になっている部分があるのかもしれません。こういった点について、私自身はマイナス面をあまり感じていませんが、他の人はそうではないのでは?という思いがあります。実際、仕事でいつも運転しているような人であれば、「不足」を感じるはずです。悪気のない放置や何気ない見過ごしの結果として、こういった不足を自分のお子さんに背負わせることになるとしたらどのように感じるでしょうか?