感情鈍麻、意識散漫が進まないように無理は禁物
学校の先には社会があります。経済生活があります。そこではお金の点での効率性が重要になってきます。費用対効果が重要になってきます。だから、大人たちは「無理」をしていることが多いです。特に、上場している企業では、収益などについて意識が高くなるため効率が本当に重要になります。それで、多くの人が無理をすることになっています。それも当たり前のように。この背景には株価への影響、投資家への影響なんかがあります。上場していない取引先にも無理は波及していきます。
必死で何とか目標の業績を達成しようと努力しています。それで無理するのです。努力する点では良いことです。その社会の前段として学校があります。学校でも競争があります。だから、子供たちも知らないうちに無理をするようになっています。必死に勉強するようになっていくのです。ちゃんと勉強をするという点で良い部分があると思います。人間はほったらかしておくと勉強しませんからね。ある程度のしめつけは教育段階でも必要と思います。
ですが、もともと無理をしている状態であればどうでしょうか。常に無理してギリギリで周囲に合わせている状態。これに、さらにみんながするような無理が加わると足し算のようにして負荷が加わるのではなく、掛け算のように負荷が加わるように感じると思います。もともと無理をしている状態だから、他の無理をするときにその「無理」をそのまま受け取れない状態。そういう感覚があるはずだからです。プラスして、新しい別の無理を受け取る感じにはならないということです。そこには感情鈍麻、意識散漫など色々なことが関係することがあると思います。
「無理」をしっかりと受け取って、それでアウトプットしないといけない。それが成果につながるはずです。そういう勉強だからこそ、果実を得ていくことができるようになるはずです。でも、「無理」をしっかりと受け取れていない状態なら、成果につながらない。果実にならない。やるだけ時間の無駄。それだけじゃなくて、身体にマイナスの影響をもたらすことも考えられます。学校の「無理」がマイナスに作用する可能性だってあることを想定しておくべきです。「無理」しなくていい。なぜなら、受け取れない無理。成長にならない無理だからです。重症化した慢性副鼻腔炎(蓄膿症)の症状が悪化するほど、この受け取れない無理、成長にならない無理の割合が増えるように思います。もちろん、他の病気でも同様です。
だから、そういった病気を持つ人にとって最適なことは、ちゃんと無理を受け取れる環境で、しっかりと物事を受け取りながら成長していくことだと思います。それが仮に社会的な物差しで「下」に評価されるとしても、無理しているよりは、着実に成長につながるのではないかと思います。このあたりの判断も人それぞれの症状などによって、大きな違いが生じることだと思いますが、そういう視点を持っておいた方が良いと思います。自分が実質的に成長できる環境はどういう環境なのかという視点です。
いつも受け取れない無理ばかりをする環境は、自分にとって良い環境のはずがないと思うのです。無理をすると、感情鈍麻とか意識散漫がさらに進行する可能性もあります。これが無理をした結果として予想されることです。何も受け取れない状態が進行しやすいはずです。そうなると状況によっては物理的な危険も増えるはずです。だから、受け取れない無理は絶対にダメだと思います。これは色々な病気に関連して重症であるほど、大切な視点になるのではないでしょうか。意識散漫、感情鈍麻が進行して、もし事故にでもつながってしまったら、「不注意」とか「自己責任」なんて言葉で切り捨てられるのが今の社会です。そんな状況を見据えて、最適な選択についての意識を保っておくべきと思います。