副鼻腔炎(蓄膿症)の手術をして良かったかどうか?
副鼻腔炎(蓄膿症)の手術をして良かったかどうか?この点で言えば本当に良かったと思っています。全然違う世界を生きることが出来るようになった感じです。手術がコワいとか、手術はとても痛いんじゃないだろうかとか、手術前は色々な心配があると思います。そりゃあ、メスを入れることになるし、「手術」というだけで基本的に色々なリスクにさらされることになります。だから、その気持ちも分かります。実際、私も手術前は怖かったと思います。でも、手術中の痛みはなかったです。ちゃんと麻酔しますしね。
私の手術(内視鏡手術)時は局部麻酔で片方ずつ2回に分けて手術しましたが、その局部麻酔でも意識がいつもよりは朦朧としている感じですが、それでも意識がないわけじゃない。意識はちゃんとあった感じでしたね。だから、痛みとかが出た場合にはスグに先生に合図出来るという点で優れた手術だったようです。今は、全身麻酔で両方ともいっぺんに手術しちゃう!みたいな感じになっているようです。ネットで見るとそういう情報が多い感じがします。そのあたりの詳しいところは、もしかしたら病院によって違ったり、先生によっても違ったりするのかもしれません。手術の説明は先生がしっかりとしてくれるはずですので、不明な点は質問しておきましょう。
身体を切るため、手術後は熱が出るのですが、そういうことも含めて、今となっては良い思い出になっています。担当した先生が綺麗な女医さんだったとか、看護婦さん達が若くて元気な感じだったとか、病院がとても清潔で綺麗で新しかったとか、ちょうど春を迎える頃の良い時期に手術したとか、そういう良いことしか思い出せないですね。シンドイとか、大変だったとか、苦しかったとか、手術に関連してそういうことがあったのは確かですが、感情としては思い出せない感じです。だから、手術して良かったか?と聞かれれば、本当に良かったということしかないです。それが本当のことです。
そもそもですが、手術後の痛みとか高熱とかシンドさって多分、重症の慢性副鼻腔炎(蓄膿症)を幼き頃からずっと抱え込んで学校生活を切り抜けてきた人にとっては本当に大したことないんじゃないかと思います。それ以上にずっと苦しいことを経験してきたはずだからです。
だから、つらかったとか苦しかったとか、そういうことを思い出そうとすると、どうしても小学生とか中学生とか高校生の時の学校生活になるんですよね。私の場合、いじめられてたとかは全くなかった、そういうことよりも純粋に病気単体の症状で日常が苦しかったということです。そして、それをうまく言葉に出来ない日々。その上で、そのことについて当然明確な意識を働かせるだけの知恵もない日々。そういう日々を思い出すと、今でも本当に苦しくなります。なんか地獄みたいな日々、暗黒時代みたいな感じに思う時があるのです。あの時は本当に大変だった、よく頑張ったなぁと思います。
でも、副鼻腔炎(蓄膿症)の手術については、全くそういうものが無いんですよね。本当に良かったというだけ。私の場合、本当にそれだけですね。だから良い思い出しか出てこない。そこで思い出すことが「環境」です。だから、この環境がとても大切だということなのかもしれない。私の場合、良い環境で手術が出来たということだと思います。手術する病院をどこにしようか迷っている場合には、手術の回数の他に、環境面を含めて考えても良いかもしれません。
ベストな選択をすることが大切
私の場合、手術以外に改善の選択肢がなかったです。だから手術したわけで、それを後から手術して良かったとか、手術しない方が良かったとか、そういう思考になることはなかったと思います。仮に手術で予期せぬことが起きて問題が出たとしてもです。手術しかない状況。それなら、腹くくって、やるしかないじゃん!!ってことですね。
手術するなら、じゃあどこでしようかな?って選択をちゃんとした方が良いと思います。それしか出来ないですからね。手術は先生に頑張ってもらうしかない。手術中、自分は横になってるだけです。先生の汗を拭いてあげたり、メスを渡してあげたり、お手伝いなんか出来ないわけです。それまでの選択が大事ってことだと思います。