赤ちゃんの「よだれ」が多すぎる!語られない副鼻腔炎。

赤ちゃんの「よだれ」が多すぎる!あまりにも多すぎる!!赤ちゃんの「よだれ」には色々な原因が考えられますが、少ないよりは全然良いよね!みたいな感覚だけに流されて、鼻が完全に詰まっていることを見逃していませんか?よく見ると、鼻が詰まっていて苦しいから口がいつも開いているだけになっていそうな赤ちゃんはいないでしょうか?すでに、よだれの多さ、それも異常な多さにそれが明示されているケースがあるのではないかと思います。

ただ、赤ちゃんは顔のパーツ自体が小さい。鼻も小さいですね。だから、ちゃんと見ていないと、そういう異常すらも見逃してしまうのかもしれません。それから、赤ちゃんだから仕方ないとか、そういう感じで捉えているのかもしれません。その結果、物心ついた頃から慢性副鼻腔炎になっている子供が出てくるのではないでしょうか。西洋医学自体が人体のパーツを別々に取り扱って原因を追究することが多いようです。分析的な思考、学問的な思考によって、そのようになりやすい傾向があるようで、それも一つの思考形態として大切だと思いますが、一方で人の身体は全部がつながって機能しているため、全体としてどうなのかという視点も本来は大切なことのように思います。

一つの悪い箇所があれば、全体がおかしくなってしまう。そうなると他の部分にも悪い影響を与えてしまいやすい。そういうことがあると思います。そういうことを人間は誰に言われるわけでもなく、自分の体験を通じてもよく認識するところがあるように思います。だから、そういう人間本来というか動物本来の感覚も大切にして欲しいと思います。鼻が苦しいのかな?鼻が苦しかったら、お口が開いたままになってしまいやすいね、だから口からよだれが垂れやすいのかな?もしかしたら、そういうことも関係しているんじゃないかな?そもそも、ずっと鼻が詰まっているのかな?

そういう共感力を要する理解力が枯渇していると、異常な状態を見過ごし、そのまま放置することが当たり前になってしまうのかもしれません。鼻が出ているのが当たり前、異常なよだれを垂らしているのも当たり前、言葉の発達が遅れているのも当たり前、生活習慣が身に付いていないのも当たり前。時間が経つごとに異常に覆われていくにもかかわらず、全てが放置されてしまうこともあるでしょう。保護者が思考のないままに、ボーッとしている感じなんだと思います。だから、思考力や言葉の発達が遅れていても、気が付かない。

その結果、小学生の口腔崩壊のようなことにつながっている側面もあるのではないでしょうか。よだれの件については、私自身も赤ちゃんの頃に明確に示していたようです。ですが、「歯が丈夫な子」だといった感じで、見過ごされていたわけです。小学生の頃には、すでに私も沢山の虫歯を持つことになりましたね。口腔崩壊まではいかなかったですが、生活習慣がきっちり身に付いていなかった。その前提として思考散漫、感情鈍麻、自分の身体についての正常な感覚認知の遅れ、言語発達の遅れなど、そういうことが蓄積されていたように思います。

そういう事がしっかりと出来ていないと大きくなった時には、すでに心身がボロボロになるはずです。そこから何かに挑戦しようとしても、そういう土台すらもうない状態になっている。つまり、人としての「器」が環境によって破壊されながら成長していく子供たちがかなりいて、大人になるころにはもう完全に壊れている状態になってしまっていることがあると思います。そういう環境面での問題を抱えたまま、機会平等の名の下に教育の無償化などを進めている人たちもいますが、機会よりも環境面での格差が大きな問題で、この点についての社会的なフォロー体制の方が緊急度が高いように感じます。

この格差について何も知らないで育った後、大人になると「自己責任」として社会から見下される存在になってしまうことが想定できます。そういう子供たちが大勢いるはずです。そして、そういう子供たちの多くが知性面でも恵まれた状態にならないために、言語で整理して改善を求めるようなこともできないことが多いはず。何も言わないからOKみたいな感じになっていることがあるんじゃないでしょうか。つまり、弱者が完全に排除される論理、社会の仕組みが作られていっているように思います。

ですが、そのような身体の状態を持ってもなお、高い視点から大人たちを見ている子供というのは僅かに存在するように思います。そのような子供が社会に新しい知恵を授けてくれる大人になるかもしれないし、社会に対する反発を明確に示す大人になるかもしれない。そういうことも大人が想定できることだと思います。身体問題については、本当に些細なことの積み重ね、毎日の積み重ねが大きな違いになるはずです。特に赤ちゃんのような時期に何かおかしなところがあれば、常に診てもらうくらいで良いと思います。

それから、毎日の当たり前の習慣が本当に人生の財産になるということについて、保護者の方には、しっかりと認識をして頂きたいと思います。仮に小学生になっていても、中学生でも高校生になっていても、改善できるところは改善を続けるべきですよね。今から遅いとかはないはずです。いつからでも全然違ってくる。なぜなら、ずっとそれが人生全体に影響する可能性があるからです。よだれとか、鼻が詰まっているとか、耳の聞こえが悪いとか、反応が遅いとか、色々なことをチェックする視点を持っておくべきと思いますね。それを当たり前のようにやっているのが動物の本来の姿ではないでしょうか。仮にこういったことに不足を感じている場合は、保護者ご自身の状態についても一度チェックすべきなのかもしれません。

ちゃんと感情を察知してあげられる精神状態に自分がいなかったり、忙しすぎて物を取り扱うようにして赤ちゃんを取り扱っていたりすることに気が付いても、それを変えられない自分がいるのであれば、どこかに相談すべきと思います。今は自治体などでも色々な相談窓口があります。一人で考えこまずになるべく色々なところに相談するようにして欲しいと思います。そうすると単に保護者としての自覚が足りなかったとか、そういうこともあるかもしれないし、あるいは、自分にある何らかの問題に気が付くことになるかもしれません。そういうきっかけを得ることが大切だと思います。結論よりも、そういうきっかけを常におそれずに持つようにしておくこと。これが大事なんじゃないでしょうか。

「よだれ」が多いのは仕方ないにしても、あまりにも多すぎる!そういうことだって相談していいわけです。何も黙っている必要はないです。何でも色々と相談したらいいと思います。そういう意識を持っておくべきと思いますね。特に赤ちゃんや子供のことであれば、特にこういう意識を強く保っておくべきと思います。