子供の副鼻腔炎(蓄膿症)放置に虐待の視点を

自分の子供が重症かつ慢性の副鼻腔炎(蓄膿症)なのに、それを放置してしまっているという人はおそらく、そのことが人生全体に影響するとまでは考えていないと思います。だから、放置してしまうんですよね。子供の鼻たらしは仕方ない。そのうち治るだろうといった感じで。

確かに、そのうち治るようなものなのかもしれないです。ですが、もしそうではなく、重症化したまま大人にまでなってしまったら、言語能力に問題が出ている可能性があるだけでなく、その他の身体的な問題にまで発展してしまう可能性があります。例えば、私も持っているような顔の張りとか、違和感などです。人によっては、突如として強い痙攣を引き起こす場合もあります。それが顔なので社会生活上も本当に不利になります。

手術をした後でも何らかの関連症状が出る場合があります。これが私のようにしてタバコをきっかけに強くなって、さらに悪化する場合とか、働き過ぎで痙攣が強くなってしまったとか、色々なケースがあると思います。私が仕事場で知り合った方で、蓄膿症の経験がある人がいましたが、顔の痙攣で悩んでいました。ほとんど接したことのない他社の方だったのですが、会議中に強い痙攣が始まって止まらなくなり、顔を手でおさえていましたね。その方も言っていました。蓄膿と関連して、色々なところが悪いということについてです。かといって、副鼻腔炎(蓄膿症)だけで言えば、決して重症だったという方ではなかったです。それでも、こういった症状を持つことになってしまう場合があるのです。

私の場合は、歯茎からの慢性的な出血なんかもありますね。手術後に歯医者さんにも通いましたが、それでもこういった部分は治らなかった。そのような症状をずっと持ち続けている場合があるのです。古い壊れたものを捨てて、新しいものに取り替えるようにして身体を取り替えることは出来ないのです。特に顔面の中心部にあるような器官なら、なおさらその傾向が色濃くなります。そういう問題を抱えたままだと、サラリーマン生活で上へ上へと目指すことも困難になります。おそらく、本人もその道を避けることが多くなるはずです。

つまり、学歴社会を前提としたサラリーマンには向かないということです。社会人になったとしても、そういう社会人になってしまう可能性がかなりあります。もちろん、症状次第で全く問題なく、前進する人もいると思いますが、そういう人がいるから、あなたの子供も大丈夫だということにはならないです。人によって全然違うのです。会社員に向かないということは、つまり学歴社会に向かないということでもあります。つまり、塾とか予備校なんかに行かせているのは全然見当違いなことをしている可能性もあるということです。

そういう未来が待っているということについて、もっとリアルに想像して、早めの対処を心がけて欲しいと思います。サラリーマンに向かないことが悪いことではないと思いますが、おそらく、そんなことすらも考えたことがない人の方が多いのではないでしょうか。うまくサラリーマン社会に溶け込んだとしても、色々な慢性的な不調を持ち続けたまま生活することになったり、かなり忙しい時期になってくると顔や目の奥などに痛みなどが出てきて耐えられなくなったり、極端に体調が悪化してミスが多くなったりと、色々なことが現実的な問題として想定できます。

そういったことがずっと続くとどうなるか。もしかしたら、皆が思い描いているようなサラリーマン生活をずっと続けていく過程で他に大きな身体問題が出てくるのではないかという不安が出てきます。実際にストレスが強い状態を維持し続けるわけなので、そのストレスから逃れようと色々な悪習慣を引き寄せやすいことを含めて色々な問題が出てくると思います。つまり、小さい頃の放置が人生全体の問題になっていくということなのかもしれないのです。

だから、子供の問題で大人になれば何とかなるだろうなんて見込みを持たず、今の問題を真正面から受け止めて行動して欲しいと思いますね。特に、物心付いていないような子供を放置してしまうのは、情報が行き渡った現代では情弱理由にも無理が出てきており、ただの虐待として認知されるようになるのも時間の問題ではないかと思います。保護者としての機能がない、つまり欠陥のある親なのか、虐待する親なのかのどちらかだという視点を社会も持つことが大切と思います。

ですが、虐待する親は欠陥を持っている親であることも多いのではないかと私は思います。親自体に欠陥があるということは、親だけの問題にすることも出来ません。だからこそ、社会として目を光らせるべきだと思います。それは虐待の問題だけでなく、病気の問題も含めてです。暴行による虐待も、放置することで生じてしまう病気も同様です。見識のある人には一生の問題になると分かっているようなことであれば、放置することだって、悪意のない虐待のようなものではないでしょうか。

そもそも暴行による虐待についても悪意を持ってやっている人もいるのかもしれませんが、そうではなく、本能のままにやってしまう大人、欠陥のある大人が多いのではないでしょうか。そう考えると、ますます病気の放置は虐待と同じように見えます。仮に、副鼻腔炎(蓄膿症)の子供を放置しているために、虐待をしている親だというレッテルを貼られるようになったら、どのように思いますか?

暴力による虐待をしている親と、そうではない親で気持ちは全然違うと思います。暴力による虐待をするような人は社会ではどちらかというと弱い人の方が多いと思います。だから、自分が腕力で上に立てるような人に対して、たとえば物理的に力の弱い子供に対して暴力をふるってしまうことが多いんですよね。つまり、社会的な強い目がかなり効果的な相手にもなります。今、子供は社会が守っていくという意志を明確なものにしつつあることは、とても良いことと思いますが、そこに病気からも守ることを含めていくべきですね。

そうすれば、虐待の予兆と懸念を早めにキャッチすることも可能になるはずです。子供の病気を放置する親と虐待をする親というのは、かなり相関があるのではないでしょうか。子供の病気の放置について、このような視点で見ている大人も少なからずいるはずです。そして、このような視点が明確に共有されるほど、助かる子供は増えるはずです。