副鼻腔炎(蓄膿症) 高校生活について今思うこと
高校に入ったころから自分の鼻の問題について、より意識をするようになりました。それまで以上に、周囲の目を強く気にするようになったのです。それで市販の「薬」も飲むことが多くなっていきました。学校にいる間だけでも鼻が出ないようにと思って、強い薬を飲むようになっていたのです。その薬を飲むと口の中が乾く。鼻の水分を奪うのと同時に、口の水分まで奪ってしまうようでした。それで口が臭くなりやすかったと思います。その当時は臭いの自覚はなかったですけどね。
それから、完全に鼻の症状をおさえることが出来るわけでもなく、詰まってくると逆に息苦しさが増すような感じでした。それで、口が開いていると指摘されることもありましたね。喉の方に膿、タンが回ることは以前からありましたが、そういったことも喉の渇きが増した分だけ、より不快感も増した上に、薬の副作用で頭はボーっとするようになりました。学校の授業にも全く身が入らず、ストレスが増していったことを覚えています。どうしたらいいのか分からず、学校の帰り道にタバコを吸うようになりました。
当時、私は私立の進学校に通っていましたが、地元の地域についてから駅から家までの帰り道でタバコを吸うようになっていたのです。家に到着した後は、普通にタバコを吸うようになっていました。何かから逃げるようにして忘れたくて吸っていたように思います。グレていたという感じではなく、本当に逃避している感じでしたね。どうしたらいいのか分からなかったのですが、そのタバコの習慣がその後にもっと私の鼻の病気を悪化させてしまうことは想像すらしていませんでした。
今を取りあえず逃げたい。忘れたい。ただ、それだけだったような気がします。タバコは中学生の頃から吸っていて、それが高校生の時にはすでに習慣になって止められない状態になっていました。タバコによる禁断症状があっただけでなく、逃避願望にも結び付いていたため、それ以降、20代半ばごろまでタバコを止める事は出来ませんでした。
今思えば、そもそも学校に行かなければ薬を飲むこともなく、タバコも吸っていなかったのかもしれないと思います。高校という場での社会性を何とか保つために、恥ずかしくないようにと薬を飲み始めていたわけですが、そういった行為がどんどん悪い方へ自分を引っ張っていったように思います。身体を大切にするという観点からも、私の場合は家で勉強して大検を受けて大学受験を目指す!という道が良かったのではないかと思っています。もちろん、大学に仮にそれで合格したとしても、それから順調に行ったかどうかは分からないです。ですが、少なくとも成長期のころからまわりを気にして薬を飲み、無理して社会性を保とうとする必要はなかったと今はそう思っています。
何が正しいのかは、人それぞれ違うと思いますが、その当時の私にとって学校を退学して大検で大学を目指すという発想自体が全く考えもつかないようなことでした。そういった背景には当たり前のように皆と一緒に学校生活を続けてきたことがあると思います。ですが、大人になった今では、その当たり前の部分に私のような存在は無理があったように思います。こういった点からも、早い時期から人との「違い」をもっと明確に意識しておいた方がいいのではないかと思います。
中学生になりタバコを吸い始めたきっかけは、友人との悪ふざけのようなことでしたが、そのきっかけからタバコをいつも吸うようになったのは、私自身が不良グループに入っていたようなことではなく、家に帰って一人でいつも吸うようになっていたのです。目の前の現実から逃避するような感じになっていた気がします。中学生でタバコをある程度、自由に吸うことが出来る環境にも問題があったように思いますが、それ以上に、そこにどっぷりとハマってしまうだけのストレス解消がそこにはありました。
高校生も2年生頃になると、無理が限界に近付いてきたのでしょうか、自分自身の存在意義や自分の将来などについて色々な悩みを持つようになりました。当時はインターネットもなく、ただ書店を歩き回り、色々な情報を得ようとしていたことを覚えています。ですが、私にとって力になるようなものはなく、高校3年生の頃には胸の張り避ける思いにまで至ります。胸が張り裂けるというのは、こういう事なのかと知ったのもこの時期です。胸の真ん中が裂けるような感覚が確かにあるのです。
こういったことも、副鼻腔炎(蓄膿症)との歩みの中で、おそらく何らかの関連はあったと今ではそう思っていますが、当時の私はそういう感じではなく、ただ人生について悩んでいる。そういう感じだったのです。確かにそういう部分もあったのですが、そんなに早い時期にそういったことにぶち当たる背景には、やはり特殊な環境で無理を続けていたことがあったように今は思います。その悩みは高校生としてかなり成熟した悩みでもあると思います。ですから、私は副鼻腔炎だけでなく、人生の壁にも高校生の段階でぶち当たることになりました。
その当時の私に追い打ちをかけていたもう一つの問題は「言語による思考力」の圧倒的な弱さです。私がバラバラな思考力を持っていたことは以下に書きましたが、その弱さが大きな問題になっていたように思います。
言葉で考えることがまだスムーズに出来なかったのです。進学校に通っているような子供でしたが、そのような思考力しかありませんでした。人から教えてもらったようなことを一時的に真似て言語表現することは出来ていたのですが、自分の感情とか思い、自分の世界の捉え方など、深い部分の言語化が難しく、それでいつも苦しみながら言語化しては確かな感覚を本当に少しずつ得ていった記憶があります。
もし、あの当時にそのようなことを始めていなければ、このような記事を書くこともなかったかもしれません。副鼻腔炎(蓄膿症)の感情鈍麻にさらされ、その中でもがくことだけに終始していたら、もしかすると今でも書けなかったかもしれない。指一本かかって何とか自分だけの言葉を得た。そういう感じが私にはあります。そして、ネットを見ましても重症副鼻腔炎(蓄膿症)の体験者からの整理された声は少ないです。
私のように物心ついた頃から重症で、ずっと重症のままで言語力が衰弱したまま育った人からの情報は皆無と言っていい状態ではないでしょうか。ですので、書かなければいけないような気がして書いている次第です。このような問題だけでなく、年齢を重ねる度に強くなるストレスから逃れようとタバコだけではなく、アルコール依存に進んでしまうことも考えられます。重症化した副鼻腔炎を患いながら無理して生活を続ける人は、色々な悪習慣を引き付けてしまいやすいです。そういった点からも、子供の頃から無理をさせるべきではないと思いますし、今は中学生での手術も可能になっているようなので、早めに病院の先生に相談をして対処していくべきと思います。放置されているような子供がいれば、周囲の大人が気にかけてあげて欲しいです。
思考力が維持出来ていて、体力的にも十分に耐えられるような副鼻腔炎であれば、そこまで心配することはないと思いますが、それでも早めの対処を続けることが本当に大切だと思います。悪い習慣やメンタル面も含めて他の不調を引き付けてしまいやすいためです。