副鼻腔炎(蓄膿症) 副鼻腔炎とお金の記憶

中学生や高校生の頃になると副鼻腔炎(蓄膿症)があるためにお金を多く使っていることを意識したことがあったように思います。通院費用や薬代だけでなく、薬の影響で口が乾くために通学途中や学校内での飲料費が増えること、随時購入するティッシュなどもありました。お金への意識が少しはあったのですが、まだその大切さが分かりませんでした。当たり前のように消費していましたね。

「お金」について、感謝していないところがあったのです。「お金」の教育が不足していたと思います。日本の中学生や高校生程度であれば、よくある事だと思いますが、副鼻腔炎(蓄膿症)が重症化している子が、そのままの状態で大人になってしまうと、お金についての教育不足も追い打ちをかけて、経済生活の維持が困難になってしまいやすいように思います。とはいえ、一般家庭の日本人であればお金についての教育をしっかりと受けたことがない人が多いはずです。

どちらかというと、お金に関する話題は隠されていて、あまり話してはいけないこととされている文化的な背景があるためです。ですが、お金の視点が不足していることで、重症化した慢性副鼻腔炎(蓄膿症)を物心ついた頃から患ったまま育った子供は、大変苦労することになるかもしれません。ですから、保護者の方は「お金」の視点をしっかりと見据えて、学校や進学についても考えておくべきです。

そもそも、良い学校に行って欲しい、良い大学に入って欲しい、良い企業に就職して欲しい。良い仕事に就いて欲しい。そういう気持ちを持つことは良い事だと思います。ですが、あなたの慢性副鼻腔炎(蓄膿症)の子供は、そもそもフルタイムで働くことが出来るでしょうか?その身体で、この先何十年も働き続けることになります。慢性副鼻腔炎(蓄膿症)よりも先に学歴が頭にあって、身体は何とかなるんじゃないかとだけ思っているとすれば、見当違いかもしれません。

良い学校に行って欲しい、良い大学に行って欲しい、良い企業に就職して欲しいという思いは、より良いステータスが得られるし、より良い生活が出来るという見込みを持てるから、そういう思いを持つようになったはずです。ですが、そもそもまともに働くことが出来る身体すら、授けてあげていない状況にすでになっているなら資本主義を前提にした学歴社会のピラミッド構造の中では一番下の生活になってしまう可能性が大きくなります。

ヒドイことを書くようですが、この現実が見えていない大人に囲まれて育ったために、とても辛い思いをすることになる人がいると思うので、このように書いています。学歴社会などで日常の世界を見ているなら、本当に一番下です。一生、面倒見てあげられるだけの経済力がある家庭なら問題ないと思います。ですが、そんな家庭はほどんどないと思います。

それが何を意味するか、想像できるでしょうか?子供が大きくなり、大人の思うようにいかなくなってきて、経済的に厳しくなってくると投げ出すことが想定されるのです。「もう一人で生活するべき。」「甘やかしすぎなんじゃないの?」「もう自分で稼いで生活しないと。」。問題が出てきた場合に、子供の両親が誰かに相談したとしても、おそらくこんな答えが返ってくることになるかもしれません。

そして、実際にそうかそうかと思って、子供を家から叩き出す大人も出てくることでしょう。実際に私は、これと似たような道を歩みましたが、今になって感じることは大人たちのお金に対する認識不足や副鼻腔炎(蓄膿症)の子供に対する見識不足ですね。それは、私を追い出す前から存在していたはずのものです。

その後、私は一人で生活するようになりましたが、お金の教育がないだけではなく、食についての教育もない、長く働くこともできない、そして慢性副鼻腔炎(蓄膿症)はそのまま、そういう状況に陥りました。一番下。私の場合、実際にそれが現実になりました。食べることすら、まともに出来ない生活です。当時は元々細かった体が、さらに針金のように細い身体になりましたが、一方で顔まわりだけは副鼻腔炎(蓄膿症)の影響で腫れぼったさが残っているのです。この時、まだ手術していない状態だったのです。

本当に一番下だなって、そういう感じがしましたね。今、思い返してみると、既に子供の頃からここに向かうべくして向かっていたように思います。だからこそ、私がこのように書くことにも少しは意味が出てくるように思うのです。周囲にいる大人の役に立つかもしれない、そのことで重症化した子供が少し楽になるかもしれない。そう思っています。慢性副鼻腔炎(蓄膿症)の手術の技術が進んだためでしょうか。今はこの手術も中学生くらいから出来るようです。手術でなくても、早めの対処を意識して欲しいと思います。

また、病気を放置したまま育てられている子供については、周囲の大人や学校関係者の方などが少し気にかけてあげて欲しいと思いますね。今でも子供の鼻たらしは仕方ないなんて感じで病気を放置したまま育ててしまっていることは少ないと思いますが、そういう子供には、やはり周囲の大人の力が必要と思います。その子供が物心ついた頃から鼻が悪い状態であれば、どうしたらいいのか分からない。どう表現したらいいのか分からない。言葉の問題もそうですが、それ以上に病気ではない「自分」を知らないで育っている可能性があるのです。そんな子供にまで自己責任を背負わせるのは無理があると思います。