副鼻腔炎(蓄膿症) 保護者の方が察しておくべきこと、理解すべきこと
学校でのプールの件について既に以下で書きましたが、学校生活では様々なことがありますね。
副鼻腔炎(蓄膿症)の子供 学校のプール問題
そんな中、私がそうであったように小学生の頃などは特に活発に動いているかもしれません。そんな子供であっても、副鼻腔炎の子供、特に重症化している子の場合には、色々なイベントの度に鼻の問題と直面することが多くなるかもしれません。
普段からお子さんと会話する時間が十分にあるご家庭なら大丈夫だと思いますが、そうではない場合には子供の困った様子を見過ごしてしまう場合があると思います。例えば、運動会の準備や修学旅行などで泊る際、鼻息のあらさ、いびきの大きさ、鼻が詰まっているがゆえに周りの子に嫌な気持ちにさせてしまい、結果として指摘をうけたり、嫌がられたりすることがあるかもしれません。そういったことが起きてから大人が気付くのでは、遅すぎるということです。あらかじめ様子を見て、どんなことがあっても、ちゃんとコミュニケーションを取れるようにしておくことが大事だと思います。
一緒に最善を尽くすからね、絶対に治るからね!という支えがあるのと無いのでは大きな違いがあります。大切なことは、こどもを一人にさせないことだと思います。その意味は誰にも分かってもらえていないというように思わせないことが大事と思います。実際に、物心ついたころから慢性副鼻腔炎を患っていて症状も重症化しているような子供であれば、その多くがこういった感覚を言葉に出来なくとも、持っているのではないかと私は思います。
鼻の症状についての感覚を共有できている相手がいない状態です。日常を捉えている感覚を分かってくれている大人、察することが出来る大人がいることで気持ちが安らぐだけでなく、極端な内向的人格になってしまうことは避けることが出来るのではないかと思います。それはコミュニケーションの問題も少しは軽く出来るのではないかということです。
ですから、その一人になる大人が善良であれば誰でも良いのですが、現実的には保護者の方がその役割を担えるかどうかで、大きな違いが出てくると思います。小さな子供なのに完全に一人だけの世界が出来上がってしまうと、
思春期にとても苦労することになるはずです。それが1人の人間にとって良いことか悪いことかは私にも分からないのですが、仮にそうなれば、間違いなく保護者の方が望んでいるような普通の道を普通に歩く子どものイメージからはどこかのタイミングで少しずつ外れていくことになるかもしれません。
それをかわいい子には旅をさせろといった諺で捉えるべきではないです。かわいい子には旅をさせろというのは、心身ともに健康な状態を親としてプレゼントした後にさらなる成長を願って送り出す時のものです。心身がボロボロの状態の子供を放置しておくこととは意味が違うのです。もし、保護者の方が、そのような状態で放置した場合に保護者以外の方が、そのことを察して手を差し伸べることが出来るような環境も必要と思いますね。
心身がボロボロの状態で完全に一人にしてしまったら、おそらく生きていくことは出来ないとおもいますし、仮に生きていけたとしても、何らかの犠牲を想定すべき状況にすらなり得ると思います。それくらいに大きな事になり得ることを、現実のこととして捉えることが出来ないのは、副鼻腔炎(蓄膿症)で重症化した状態で何年も何年も過ごすことの大変さを実感しては分からないことに起因すると思います。
また、重症化してしまうと言語化が難しくなります。保護者の方はそこを分かっておくべきと思います。このようなことを書くと、誤解されてしまうことも多くなると思います。それは、たとえば、出来る限り友達を作れるようにしよう!とか保護者が考えるようになることで表れます。無分別な対応が逆に本人を「一人」にさせてしまうことを想定しておくべきです。私が「一人」にしてはいけないと言っている意味は、病気のことを含めてしっかりと感情共有、認識共有して思いやりが機能する関係、信頼関係が築けている人が絶対に一人は必要だということです。
一人だけいればいいということでもあります。そもそも副鼻腔炎(蓄膿症)の子供と感情共有、認識共有できる友達、その上での信頼関係がある友達なんて難しいと思います。もちろん、友達に原因があるわけではないです。重症化している副鼻腔炎(蓄膿症)の子供が生きている世界を、他の子供たちがリアルに捉えることはとても難しいはずだからです。それは親が自分の子供について分からなくて困ってしまうようなことよりも、もっと難しいことだと思います。
ですので、年齢が進むほどに周囲の友達が生きる世界とは全く違う世界を感じて生きていくようになっていく子の存在も想定すべきと思います。学校生活を送ってきた子であれば、この過程で友人がいなくて寂しいと思うこともあるでしょう。ですが、実際に経験を積んでいくほどに、一人だけ味方がいればでよかったと思うようになると思います。周囲と生きている世界が違うのであれば、無理をして参加するグループにいるよりも一人でいた方が楽なのです。その一人の時に、本当に完全に「一人」の状態ではマズイということです。
この意味は重症化しているような状況で、無理をして学校に行くことについて保護者の方が大らかな気持ちで物事を捉える見識になるのではないでしょうか。特に物心ついた頃から患っている重症化した慢性副鼻腔炎を放置し続けてしまうと、以上のようなことについて考えることを現実的なものとして感じる始めることになるはずです。
ですが、最近では中学生程度で手術が出来るようになっているそうです。リスクはもちろんありますが、手術の実績数なども調査した上で、早めの手術を検討すべきと思います。