副鼻腔炎(蓄膿症) 思い出ポロポロ、手術後の病院で

私が副鼻腔炎(蓄膿症)の手術をして退院した後、術後検診のために病院に行った日のことです。その当時の私と同じくらいの年齢の子とそのお母さんと思われる2人の親子の様子を思い出します。「子」といっても、もう18歳から20歳くらいの年齢でしたが、その子の目はウツロでボーっとしていて、口は開いたまま。お母さんがその子の手を引いて耳鼻科の受付へと歩いている様子です。

一目で、思考力が奪われてしまっている印象を持ちました。私は自分のことのように、その子のことを捉えることが出来ましたが、自分のことのように捉えることが出来たのは私も同じようにボーっとしていたことがあるからです。そのお母さんの表情からは何とかしたいという思いがしっかりと伝わってきました。ただ、年齢を考慮すると一人で病院に行けないのは不自然なので、それほど重症化してしまっていることも伝わってきました。意識散漫、思考力や判断力の減退、感情鈍麻がかなり進んでいる印象でした。

副鼻腔炎(蓄膿症)で苦しむ子供たちが、心に沢山の傷を負って、何とか這い上がれたらいい。でも、這い上がれなかったら、本当にどうするんだろう。社会では当たり前のように同じように取り扱って、ただ汚い存在として不快感の対象として半分排除するような対応を維持しておくことで、何らかのメリットを得ることが出来るのかもしれない。

ですが、そこから這い上がれなかったら、自分の言葉、自分の言葉による思考力を得ることができないまま、現実の社会についても認知が進まないまま、ただ自分の存在を卑下したまま、思考力や判断力が減退して、感情鈍麻の渦に陥ることになるなら、それは生き地獄を社会が許容しているようにさえ私には思えるのです。

また、このような種類の発言や情報発信をあまり見かけないところに、重症化した「副鼻腔炎(蓄膿症)」の問題の難しさが示されているように思います。思考力や判断力が奪われ、感情鈍麻、意識散漫に陥ったところから這い上がってきた人、そういう意味での重症者視点の情報がないのです。

私が知る限り、情報の発信者は言語力など、知的な面だけは維持することが出来る程度に重症だったという人が多いです。感情鈍麻、意識散漫によって言葉による思考力すらも落ちていったところから這い上がってきたような人の情報は見かけたことがありません。なぜなら、おそらく整理して情報を発信できるような力を失っているケースが多いからだと思います。

本当に難しいことと思います。だからこそ、これを見ている保護者の方には副鼻腔炎を簡単に捉えないで欲しいと思います。今は手術が出来る年齢も早まっているようです。手術である限り、もちろんリスクもありますが、やはり早めの対処がより良いということもあって手術開始年齢が低年齢化しているものと思います。

私のころは高校生でも早いと言われて手術できませんでしたが、今は中学生くらいなれば手術をすることが出来るようです。ですから、しっかりと注意していれば昔より早い段階で打つ手はありますし、薬なども良くなっていると思います。病気を見て見ぬふり、無視さえしなければ、色々なことが出来る環境があるということだと思います。

楽観的に捉えることと、無視することとは違いますよね。「副鼻腔炎(蓄膿症)」は無視されてしまいやすいと思います。答えが見つからないと、人のことだとそれで全ての対応が終わるのです。そこが本人にとっては地獄のような場所であっても、そのことについては考えることを終わらせる時がくるということです。

保護者の方にとっても、うちの子はそうは言ってもそこまで酷くはないはずだ!と思って生きることが一番の心の薬になることもあります。だから、毎日の積み重ねの中で、すぐ横にいる存在と全く違う世界観を生きることになる場合があるのかもしれません。その結果、意識散漫、思考力や判断力の減退、感情鈍麻が進んで戻ってこれなくなってしまったら、その子は自分の家庭を持つことすらなくなる可能性がかなり高くなる現実が待っているのです。

そういう現実があるのです。でも、誰も意識しない、気が付かない、分からない。自分のことのように問題を感じない。そのようにして、世界では弱者が切り捨てられていく側面があることは事実で、これは人間も動物的な側面があるので仕方のない部分もあります。ですから、現実だけれども、避けられてしまう話題をちゃんと私は書きたいと思いました。

家族であっても、そのようになってしまう可能性があるからです。副鼻腔炎に関連した話題は、こうしたら治ったー!やったー!みたいな情報もありますが、確かにそれも重要です。でも、そういう事以前にどこかで諦められて、放置されて、そんな病気はないものとされたまま生きている人が、あなたの隣にいないですか?という視点も重要だと思っています。

それから、自分のお子さんのことを、どれだけ本気で考えていますか?ということです。良い塾に行かせたいとか、良い学校に行かせたいとか、良い会社に行かせたいとか、そういうことよりももっと前に点検すべきことはないですか?ということですね、私が伝えたいことは。

重症化していなければ、さほど心配はしなくても良いのかもしれませんが、少なくとも、症状によっては人生の大きなリスクになる可能性がある病気です。だから、子供の鼻たらしは仕方ないみたいな昔の考え方は絶対に止めた方がいいと思います。