副鼻腔炎(蓄膿症) 内向きな性格とチェックポイント
副鼻腔炎(蓄膿症)内向きな性格の原因
私は子供の頃、かなり活発な子供だったと思います。ですが、その一方で内向的な部分がありました。恥ずかしがり屋だったということです。この性格は慢性副鼻腔炎(蓄膿症)の影響をかなり受けて作られていったと思います。それから、気持ちの切り替えでは、この内向きな性格を変えられないという感覚も私にはよく分かります。
「昔はそんな人は沢山いたんだよ!大丈夫!気にしすぎだよ!」そういうことを大らかな人は親切で言ってくれるかもしれません。ですが、慢性副鼻腔炎(蓄膿症)の人が内向きになりやすい理由には、身体的な問題が解決されないかぎり、どうしてもそうなりやすい部分があるのです。息苦しい鼻の状態などに意識が一日中どこかで向かい続けていることになり、つまり、自分の身体の一部について、ずっとどこかで意識が働いているということです。
もう少し言えば、感覚機能自体がうまく働かないことによる感情鈍麻、意識散漫によるものと、息苦しさや不快感によるもの、そういう状態に陥っている自分への意識が継続するということです。この状況を少しでも改善するために運動をすることで少しは外向きの意識を中心に持ってくることも出来ると思いますが、基本的には普通の人の感覚からすればある意味で自意識過剰な状態に陥らざるをえないと思います。
それが内向きになってしまう根本原因です。心というよりは身体の病的な状態を根源としたところがあります。そして、物心ついた時から副鼻腔炎を患っている状態であれば、子供の頃に、このような自分の性質について明確に捉えることなど出来ないことが多いと思います。自分ではどこかで分かっていても客観的に分かるレベルにはなっていないことが多いはずです。それが逆に子供にとって救いの部分でもあるのかもしれません。
ですが、その状態のまま思春期を過ごしてしまうと、内向きな人格が完成することになると思います。こういった面まで含めて、しっかりとケアしながら成長できる環境を整えてあげることを考えると、やはり今の学校体制で重症の子たちが勉強を続けていくことは無理があるような気がします。自分の身体について常にどこかで気にしている部分があるだけでなく、年齢が上がるにつれてより周囲の目も気にするようになっていきます。
そして、その周囲の目を気にする面がある一方で、周囲が受け取っているような情報を受け取れないことも増えてくるはずです。なぜなら、意識が散漫になって人の発している情報を周囲がキャッチしているようにキャッチすることができない場面が出てくるからです。こういった経験をするほどに、より一層、内向きになり人前に出る事が出来なくなってしまうはずです。そして年齢が上がるほどに、コミュニケーションの問題、人格の問題にもなっていきます。
副鼻腔炎(蓄膿症)の子供が経験していくことから見える現実
だから、副鼻腔炎(蓄膿症)の子供が仮に活発であったとしても、その症状が治まらない限りは年齢が進むほどに、内向きな方向に引っ張られていきやすいはずです。さらにいえば、この内向きな方向に引っ張る要素は、自分以外の要素も増えていくはずです。周囲へ不快感を与えている場合に当然ながら、自然の流れとして周囲は拒否反応を示すからです。
暴力などではないなら、周囲が悪いわけではないはずですが、どうしてもそのようにならざる得ないと思います。ここでも私の経験を一つあげておきたいと思います。これは今でも真実がハッキリと分かっていることではないですが、つまり、こういうことが多くなりますという良い例になるので取り上げたいと思います。
それは私が通っていた進学校での話です。小学校、中学校と公立の学校に私は通っていましたが、高校は私立の学校に行きました。その高校で、私と同じように副鼻腔炎の子を同級生ではじめて見かけたのです。しかも同じクラスです。鼻息が荒いな、結構気になるな。私もそういう印象を持ちました。
私と同じように蓄膿症なんだなとスグに察しましたが、そういったことを話題にすることはありませんでした。自分のことでもあり触れたくない話題だったのです。ある時、席替えがあり、その子のすぐ後ろの席になりました。その後、二人が揃うのが当たり前になったのです。周囲の子が先生と相談して不快だからまとめたのかなとそういう印象を持ちました。
その時はそこまで意識しませんでしたが、後から考えるとそういうことだったのかなと思うようになりました。なるべく強い薬を飲んで気を付けるようにはしていたのですが、私も口が開いてしまうなどのこともあり、また鼻の音も出ていたのかもしれません。不快感を与えてしまっていたのかもしれません。もちろん、真実を知っているわけではありません。たまたまだったのかもしれません。
仮に私が想像する通りだったとしても、もちろん周囲が悪いわけではありません。その状況に対する拒否反応としては当たり前の反応だったと思います。大人になって、こういったことを整理するほどに高校は特に無理をしすぎていたと思います。同様に小学校でも中学校でも無理があったと思います。そんなに無理をするほどに価値があるところではなかったと今振り返って本当にそう思います。
もっと自分に正直になれる環境で、家で勉強を続ければ良かったと思うのです。ですが、これも他の記事で書きましたが、当時、高校を辞めることは人生を辞めるようなレベルの話よりももっとあり得なくて全く考えることすらなかったのです。それくらいに生きている世界が貧しかったのだと思います。なぜ、あんなに無理して高校に通っていたのだろうと今は本当にそう思います。
すでに社会では難しくなっていくことは色々な出来事で暗示されていたように思います。それをなぜ捉えることが出来なかったのか。その理由はやはりまだ色々な点で未熟すぎたということだと思っています。このようなことを想定すると、高校生になってから、それ以上になってから自分の壁にぶち当たるよりは、もっと早い段階で周囲とは違う歩みを始めるべきだったと思いますし、そういうことが認められる教育環境になることについて、もっと大人たちが考えてもいいように思うのです。
ですが、大人であっても理解が難しいだろうし、実際には共感すら出来ないのが現実かもしれません。なぜなら、自分が経験したことがない世界をリアルに想像することがとても難しいからです。ですが、とてもツラい時期を過ごした私の経験から言えば、本当に無理をする必要はなかったと思います。身体にとっても、心にとっても、マイナス面が非常に大きかったと思います。もちろん、プラス面もありましたが、マイナスをカバーするほどのものでは全くなかったと思います。
副鼻腔炎(蓄膿症)、早めにチェックした方がいいと思う点
当時を振り返ると「無理をしている」ことすらも、よく分からなくなっていたように思います。物心ついた頃から、ずっと続いていることですからね。だからこそ、重症者の若い人も含めて、副鼻腔炎の子供を持つ保護者の方は一度立ち止まって冷静に周囲との違いを再点検してもらえればと思っています。
症状によって捉え方、考え方、判断は大きく異なるはずですが、そもそも、社会人として普通に生きていくことが出来るだろうか?とか、周囲に迷惑をかけずに生活していけるだろうか?とか、9:00~22:00で働く日があった場合、この子は大丈夫だろうか?など基本的な観点をチェックしていくべきと思います。その時に忘れてはいけないことが「継続性」です。ずっと続く生活です。人生全てと言っていいと思います。ずっと苦しい状態にならないかどうかは、本当に大切です。
良い大学に入るとか、良い会社に入るとか、そういった事以前にみんなが当たり前に生きている世界を生きることが出来るのかどうかという問題だからです。
私の場合、高校生の頃に将来どのようになってしまうんだろうという漫然とした不安を持っていたのを覚えています。既にどこかで無理を感じていたように思います。ですが、それを現実のこととして捉えることは出来なかったです。それまで、ずっと周囲との違いをあまり考えてこなかったからだと思います。
次は副鼻腔炎(蓄膿症)の人が人生でずっと負うことになりかねないリスクについて「臭い」を取り上げます。